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東京地方裁判所 昭和33年(ヨ)5307号 判決

申請人 鈴木吉勝

被申請人 バンク・オブ・インディア・リミテッド

主文

本件申請を却下する。

申請費用は、申請人の負担とする。

事実

申請人代理人は、「(一)申請人が被申請人の従業員たる地位にあることを仮に定める。(二)被申請人は、申請人に対し、昭和三三年九月二一日から本案判決確定に至るまで毎月二五日かぎり一カ月金二万七千円の割合による金員を支払うべし。」との判決を求め、その申請の理由および被申請人の主張に対する反論として、次のとおり述べた。

第一、申請の理由

一、被申請人は、印度国ボンベイ市に本店を置き、日本における営業所として東京都および大阪市にそれぞれ支店を設けて銀行業を営んでいるものである。

二、申請人は、昭和二七年一一月一九日被申請人にやとわれ、その東京支店の自動車運転手として働いていたが、昭和三三年九月二五日被申請人から、同月二〇日付で懲戒解雇する旨の意思表示を受けた。その理由とするところは、その際被申請人の呈示した書面によると、

「一、貴殿は印度銀行東京支店従業員組合委員長の地位を利用して、貴殿個人に対する当銀行の本年八月二六日附書簡に対して、これを組合に対する弾圧行為と故意に曲解し、その書簡撤回を理由として直ちに組合員をして争議に突入せしめ、理由なく銀行の業務を停廃せしめた。

二、これは極めて違法な争議行為であり、かゝる争議に至らしめた貴殿の行動は雇傭契約の本旨に照らし、従業員としてあるまじき行動であり、銀行の被害も多大であるので、その行動の停止を強く要請したにも拘らずなほ続行されるし、且つ日頃の貴殿の行動をも勘案して、已むを得ず当行は九月二十日附を以て貴殿との雇傭契約を解除し貴殿を懲戒解雇に附する。」

というにあつた。

三、しかしながら、右懲戒解雇の意思表示は、次に述べるように不当労働行為または解雇権の濫用にあたるものとして無効である。

(一)  申請人は、被申請人の在日支店従業員二九名中二一名で組織する労働組合である印度銀行従業員組合(以下「組合」という。)にその結成された昭和三一年三月五日以来加入し、結成の当初からひきつづきその執行委員長に選ばれ、昭和三三年八月当時には、「組合一の上部団体である外国銀行従業員組合連合会(以下「外銀連」という。)の副執行委員長兼争議対策部長にも就任していたものであつて、その間活溌な組合活動を行なつていたのである。

(二)  たまたま昭和三三年八月一四日「組合」は、「外銀連」からの要請によりそのさん下の労働組合である印度支那銀行従業員組合の闘争支援に赴くことになつていたので、執行委員長である申請人と組合員の原田実および岩本正子の三名を当日午後一二時一五分から午後一時までの間右支援行動に参加させることに決定した。ところで組合は右三名の外出が各自の勤務時間に亘ることをさけ、昼食のための休憩時間を利用させたいと考えていたのであるけれども、被申請人の東京支店においては従業員の昼食時間が業務の都合上各人まちまちで、当時原田実については午後一二時四五分から午後一時三〇分まで、岩本正子については午後一二時一五分から午後一時までと定められており、申請人についてはそのつど願い出て許可をとることになつていたので、当日前記組合員三名を外出させるためには、原田実の昼食時間の変更と申請人の昼食時間の指定について被申請人の許可を得る必要があつた。そこで同日午前中、申請人および「組合」の書記長井上次郎の両名が「組合」を代表して、当日出張中であつた被申請人の在日総支配人兼東京支店長カブラールの職務を代行していた副支配人パルレカに対し、総支配人室において右許可を要請したところ、諾否の回答を与えられないで、原田実を出頭させるよう要求された。その際パルレカの説明したところによると、あくまでも被申請人の従業員個人の問題である昼食時間の変更等については当該本人からその届出をすべきものであつて、「組合」の関与すべき事柄ではなく、原田実の出頭を求めるのは同人に業務の都合を聞く必要があるからであるとのことであつた。申請人および井上次郎も、パルレカがそのような理由で原田実に会おうとするのなら使用者として当然のことであると考えてこれを了承し、ただちに支配人室を退去した。叙上の交渉は、申請人および井上次郎が「組合」の代表者として行なつたもので、正当な組合活動であり、その間右両名においてなんら被申請人の業務の正常な運営をさまたげるような態度に出たこともなく、また時間的にも前後わずか五、六分程度にすぎないものであつた。

(三)  申請人は、その後同月二〇日に「外銀連」の執行委員長に選任されたところ、その直後同月二六日突然被申請人の在日総支配人カブラールから手渡された申請人あての書簡により懲戒処分の予告を受けた。この書簡は英文で書かれたものであるが、その要旨を訳出すると、

「一九五八年八月一四日、私の不在の折、貴殿は井上次郎氏を同伴して副支配人の許に行き、貴殿および原田氏、岩本嬢の三氏が午後一二時一五分から午後一時まで昼食の休憩をとる許可を申し出た。その裁決は、後刻貴殿に伝えられる旨貴殿に通知された。その後副支配人が原田氏を呼び出そうとしたが、貴殿は原田氏が副支配人と会うことをさまたげ、さらに何の権利で副支配人が原田氏に話をするのか、と質問した。副支配人が貴殿に対しくりかえし支配人室から退去するよう命令したが、貴殿は退去せず、岸浪氏の臨席のうえで最終的にくりかえして指示のあつた後、ようやくしぶしぶ支配人室を退出した。当銀行は、貴殿の行動を経営の正常な機能に対して干渉したものと考え、貴殿が再びかかる干渉をした場合には、貴殿に対して適当な懲戒手段を取らざるを得ないことを、ここに通告する。」

というにあつた。

(四)  申請人に対する右のような懲戒処分の予告は、昭和三三年八月一四日に行なわれた申請人および井上次郎のパルレカに対する交渉の対象たる事項が「組合」自体の活動に関するもので、単なる組合員個人の問題ではないことが明白であるのに、被申請人においてそのことについてことさら眼をおおい、あえて「組合」の活動の索制および弱体化をねらつたがためになされたものというべく、このような正当な組合活動のためにも組合員が職場から排除される危険を暗示する前記懲戒処分の予告は組合員全員の基本的な労働条件に重大な影響を及ぼすおそれもあり、「組合」に対する被申請人の不当な弾圧の表われともみられたばかりでなく、「組合」あるいは申請人から一片の事情も聞かないで一方的になされたものであつて、「組合」としてはとうてい納得することができなかつたところから、組合は、右予告のなされた日の翌二七日および同年九月三日から六日にかけて連日開かれた団体交渉の席上で、被申請人に対し、これを撤回するよう強く申し入れたのであるが、申請人個人の問題であつて「組合」の介入すべき事項ではないとして拒否された。そこで「組合」は、同年九月八日に開催した大会における全員一致の決議にもとずいて争議に入つた。その後においても「組合」は、右懲戒処分の予告の撤回を要求するため、被申請人に対し再三団体交渉の申入れをしたほか、同月一〇日には中央労働委員会へあつせんの申請をしたが、いずれも被申請人の応ずるところとならなかつた。さらに同月一七日「組合」の申請にもとずき東京地方労働委員会があつせんの手続を進めることになつたのであるが、その最中に申請人は、被申請人から前述のとおり懲戒解雇の意思表示を受けたのである。

(五)  もともと被申請人は、「組合」の存在することを非常にきらい、ことごとに組合員と非組合員とを差別待遇して来たのであるが、その実例として、組合員に対して次のような不利益取扱いが行なわれたのである。

(イ) 昇給、家族手当、残業および昼食時間変更に関する差別待遇

(1) 被申請人は、昭和三二年七月定期昇給を行なうに際して、非組合員および「組合」に非協力的な組合員とその他の組合員との間に、なんら合理的な理由がないのに差等を設け、前者を優遇した。すなわち、これより先被申請人と「組合」の双方が受諾した中央労働委員会によるあつせんの条項中に、昇給に関し被申請人は本給に関係なく家族数の多い者の賃金改善につき配慮されたい旨の定があつたのにかかわらず、被申請人は、前記定期昇給で、扶養家族が四人である非組合員岸重道に対し金二千二百円の増給を行なつたのに反して、組合員である申請人および西尾正一については、扶養家族数が同一であるのにいずれも金千八百円しか昇給させなかつたし、扶養家族のない者には一律金八百円の増給を行なうと称しながら、非組合員の岩瀬雅楽および平沢ちえ子には各金千三百円、同じく徳島昭雄には金千百円の増給を行なつた。

(2) 昭和三三年六月二四日「組合」から被申請人に提出された家族手当の支給に関する要求について同年八月六日より開かれた団体交渉において、被申請人は、その女子従業員中ただ一人の未亡人である非組合員の岩瀬雅楽を、単に未亡人であるというだけの理由で家族手当の支給につき優遇しようとするほか、同じく非組合員の徳島昭雄に対しては家族手当をさかのぼつて支給する有利な取扱いをしようとする提案をした。

(3) 組合員織田行雄は、「組合」と被申請人との話合いで、被申請人の東京支店の従業員の昼食時間を個人別にはつきりきめるやり方が改められたものと聞き誤り、昭和三三年六月二三日、執務に差しつかえのないことを確認したうえ、昼食時間を一存で変更したところ、被申請人からひどく問責された。ところが非組合員の徳島昭雄は、昼食のための所定時間である四五分を守つたことがほとんどなく、ひどい時には二時間もこれを超過することがしばしばあつたにもかかわらず、被申請人から一度も注意されたことさえなかつた。

(4) 組合員織田行雄については、残業をする場合には事前に予定時間を具して副支配人にその届出をするように命ぜられており、副支配人不在のためその届出ができなかつたときにさえ無届で残業をしたといつて叱責されたことがあつたのに、非組合員の徳島昭雄は、なんら届出をする必要もなく、いつでも自由に残業をしていた。

(ロ) 申請人と非組合員徳島昭雄との差別待遇

昭和三三年二月二五日申請人は「外銀連」の指令にもとずき印度支那銀行に争議の支援に赴くため、三時間の外出をするべく、副支配人パルレカにその許可をしてもらおうとしたところ、折柄来客と用談中であつたパルレカが全然申請人に取り合おうとせず、そのうちに時間が迫つたので、やむを得ずメモにしたためた外出許可願をその場に差し置いて外出した。ところが被申請人は、無許可の外出であるとして、申請人に対し陳謝を要求するとともに、今後そのような行為をした場合には被申請人からどのような措置をとられても異存がない旨の書面を差し入れるように命じたのみならず、外出時間に相当する賃金を差し引いた。

しかるに、非組合員の徳島昭雄が同年五月二六日から三日半に亘つて無届で欠勤したことがあり、同月二九日午前一一時頃出勤した同人と副支配人パルレカとの間で、その件について二〇分ぐらい激論が交わされたのであるが、パルレカは、そのあと職場についた徳島昭雄のところにやつて来て、「心配しないでもよい。」とささやき、その後被申請人から徳島昭雄に対してはなんらの懲罰的措置もとられなかつたのである。

(ハ) 「組合」および組合員に対する電話使用の妨害

被申請人の東京支店には三本の電話が架設され、そのうち二本についての電話機は総支配人と副支配人の机の上に、他の一本についての電話機はタイピスト岩本正子の手許に置かれ、後者の電話線は、「組合」の事務所にも通じるように装置されていて「組合」の用務のためにする通話にも利用されていた。ところが被申請人は、昭和三三年四月、それまで岩本正子のところにあつた右電話機をその経営担当者である印度人行員の机の上に移してしまつたため、「組合」および組合員に外部からかかつて来る通話は、電話機を管理する経営担当者が不在のときは別として、その取次ぎのないかぎり用を足せないことになつてしまつた。ところが同年八月頃からは、「組合」および組合員に対して外部からかかつて来る電話は一切取り次がれなくなつた。

(六)  このように被申請人がかねて「組合」の存在をきらい、ことごとに組合員を不利益に処遇していたことと前に述べたような被申請人が申請人に対して懲戒解雇の意思表示をするに至つたいきさつ、ことに右懲戒解雇の理由において、被申請人が「組合」の決議にもとずく適法な争議をいわれなく違法なものと断定し、しかもその責任を申請人において負うべきものとしていることをあわせ考えるならば、右懲戒解雇の意思表示は、被申請人が「組合」の執行委員長として日頃正当に活溌な組合活動を続けていた申請人を職場から追い出し、ひいては「組合」を弱体化させようとする意図にもとずいてなされたものであることが明らかであり、労働組合法第七条第一号にいわゆる不当労働行為にあたるものといわなければならない。

(七)  仮に右主張が認められないとしても、本件懲戒解雇の意思表示は解雇権を濫用してなされたものとして無効であるというべきである。すなわち、すでに説明したところに徴して明らかなとおり、申請人にはなんら懲戒解雇に値するような行為はなかつたのである。被申請人は、上述したごとく本件懲戒解雇の意思表示に先立つて昭和三三年八月二六日申請人に対し懲戒処分の予告をした当時においては、その際申請人に手渡した書簡によつて知り得るように、申請人の行動を非難しながらも、将来同様の行動が繰り返されれば格別、申請人のそれまでの行動を理由に申請人を解雇する意思まではなかつたわけであるところ、その後申請人は懲戒解雇の事由となるような行為はなにもしていないのであるから、本件懲戒解雇の意思表示は全くその理由を欠くものといわざるを得ず、しかも被申請人は従業員を懲戒解雇するについての根拠としての就業規則さえも定めていないのである。このような状況の下において被申請人が申請人に対して懲戒解雇の意思表示をしたのは、解雇権の濫用にほかならないものというべきである。

四、したがつて申請人は、被申請人から懲戒解雇の意思表示を受けた以後においてもひきつづき被申請人の従業員たる地位にあるのにかかわらず、被申請人より、昭和三三年九月二〇日以降両者の間の雇傭関係が消滅したとして、その従業員としての処遇を停止され、もとより賃金も支払われないのである。

申請人が本件懲戒解雇の意思表示を受けた当時被申請人から月の二五日に支払われるべき賃金は一カ月分金二万七千円の約定であつたところ、申請人は、前記のとおり被申請人からその支払を差し止められたため、右賃金によつてかろうじて支えられていた申請人の生活はたちまち立ち行かなくなつてしまつた。そこで申請人は、被申請人に対し雇傭関係の存在確認と賃金支払の本案訴訟をおこすことにしているが、その判決が確定するまでとても待つことができない窮状にあるので、それまでの間、仮処分により、申請人が被申請人の従業員たる地位にあることを包括的に定めるとともに、被申請人の態度からみて被申請人の申請人に対する賃金支払義務の任意な履行はとうてい期待できないので、あわせてその履行を命ずべきことを求める。

第二、被申請人の主張に対する反論

一、被申請人が申請人に対する懲戒解雇の理由として述べている事実はすべて否認する。

二、申請人の妻が被申請人の主張するように母の経営する旅館で働いていることは認めるが、単なる手伝に止まり、したがつてその月収が金二万円もあるというようなことはない。

申請人代理人は、以上のとおり述べた。(疎明省略)

被申請人代理人は、「本件申請を却下する。」との判決を求め、答弁および被申請人の主張として、次のとおり述べた。

一、被申請人が印度国ボンベイ市に本店を置き、日本における営業所として東京都および大阪市にそれぞれ支店を設けて銀行業を営んでいること、申請人が昭和二七年一一月一九日被申請人にやとわれ、その東京支店の自動車運転手として働いていたこと、昭和三三年九月二五日被申請人が申請人に対し、同月二〇日付で申請人を懲戒解雇する旨の意思表示をしたこと、その際被申請人が申請人に呈示した書面に右懲戒解雇の理由として申請人の主張するとおりの記載がなされていたこと、申請人が昭和三一年三月五日「組合」の結成以来これに加入し、結成の当初からひきつづき「組合」の執行委員長に選ばれ、昭和三三年八月当時には、「組合」の上部団体である「外銀連」の副執行委員長でもあつたこと、同月一四日当時申請人および組合員原田実の昼食時間が申請人主張のとおり定められていたこと、(組合員岩本正子の昼食時間は、申請人の主張するところと異なり、正午から午後一二時四五分までと定められていた。)、同日午前中申請人および「組合」の書記長井上次郎の両名が当日出張中であつた被申請人の在日総支配人兼東京支店長カブラールの職務を代行していた副支配人パルレカに対し、総支配人室において申請人主張のように申請人および原田実の昼食時間の変更等につき許可を求めたこと、同月二六日カブラールが申請人に申請人の主張するとおりの要旨の英文の書簡を手渡したこと、被申請人が同月二七日および同年九月三日から六日にかけて連日「組合」より団体交渉において右書簡の撤回を要求されたけれども、申請人個人の問題であつて「組合」の介入すべき事項ではないとして、その要求を拒否したこと、同年九月八日から「組合」が争議に入つたこと、同月二七日「組合」の申請にもとずき東京都地方労働委員会が右紛争解決のためのあつせん手続を開始したこと、その手続の進行中に被申請人が申請人に懲戒解雇の意思表示をしたこと、被申請人が昭和三二年七月従業員に対し定期昇給を行なつた当時申請人の主張するような中央労働委員会によるあつせんが存在したこと、右定期昇給において被申請人が岸重道、申請人、西尾正一、平沢ちえ子および徳島昭雄にそれぞれ申請人の主張するとおりの増給を行つたこと(岩瀬雅楽に対してもその際昇給が行なわれたが、その額は、申請人の主張するごとく金千三百円ではなく金千二百円であつた。)、当時申請人および西尾正一が組合員で、岩瀬雅楽および平沢ちえ子が非組合員であり、岸重道、申請人および西尾正一の扶養家族数がいずれも四名であつたこと、昭和三三年八月六日より「組合」と被申請人との間に家族手当の支給に関する団体交渉が開かれ、被申請人より提案のなされたことがあつたこと、被申請人が組合員織田行雄に対し昼食時間の無断変更および無届残業につき叱責したことがあつたこと、被申請人が昭和三三年二月二五日における申請人の三時間に亘る外出について申請人主張のような措置をとつたこと、徳島昭雄が申請人主張のように三日半無届で欠勤したことについて副支配人のパルレカが同人を問責したことのあつたこと、被申請人の東京支店に架設されている三本の電話のうち二本の電話機が総支配人と副支配人の机の上に、他の一本の電話機がタイピストの岩本正子の手許に置かれていたところ、昭和三三年四月頃後者の電話機が印度人行員の机の上に移されたこと、および申請人に対する賃金の支払日が毎月二五日であつたことは、いずれもこれを認める。

申請人が昭和三三年八月頃「外銀連」の争議対策部長であつたこと、同月一四日「組合」が「外銀連」からの要請により印度支那銀行従業員組合の闘争支援に申請人と原田実および岩本正子の三名を派遣することに決定したこと、「組合」が被申請人より申請人に昭和三三年八月二六日交付された書簡の撤回要求について同年九月一〇日中央労働委員会にあつせんの申請をしたこと、徳島昭雄が申請人主張のように昼食時間を守らなかつたことはいずれも知らない。

申請人の主張する申請の理由に関する事実中その余は、すべて否認する。

なお、申請人は、本件懲戒解雇の意思表示を受ける当時まで被申請人から月額金二万五千七百三十五円の賃金を支払われていたのであるが、申請人の妻が現在その母の経営する旅館に勤めて月々約金二万円の収入を得ているので、夫婦と高等学校に在学中の長男との三人暮しの生活に困るような状態にはない。

二、被申請人が申請人に対して懲戒解雇の意思表示をしたのは、次のような理由によるものである。

(一)  申請人は、被申請人の従業員として、上司の指示、命令に従い、忠実に職務に服さなければならないにもかかわらず、「組合」の執行委員長たる地位にあることを過度に意識し、平素から英雄気取りで上司に対し常規を逸する侮辱的な態度を示したり、反抗的な言動に出たりなどし、職場の規律、秩序を乱す不都合な行為が多かつた。その事例を示せば左のとおりである。

(イ) 昭和三二年三月二七日申請人は、副支配人パルレカに渡すべき郵便物を不作法にもパルレカの机の上に放り投げた。

(ロ) 同年四月に「組合」が争議を行なつた際に、申請人は、被申請人の東京支店を来訪した顧客のバルバルカに暴力を振つて傷害を与えた。

(ハ) 申請人は、昭和三三年二月二五日の午前一一時半までに総支配人のカブラールを迎えに同人宅へ行くよう命ぜられていたにもかかわらず、当日朝副支配人パルレカに対し、午前一一時から午後二時までの間外出したいといつて許可を求めたところ、パルレカより右用務のさまたげとなるような外出には許可を与えることができないといつて拒否されたのに、これを無視して外出してしまつた。この点につき、申請人は、申請の理由中三の(五)の(ロ)において、パルレカが来客との用談にかこつけてことさら申請人に取り合おうとしなかつたと主張しているが、著しく真実に反する。パルレカは、わざわざ来客との用談を中止して申請人の申入れを聞いたくらいである。

(ニ) 同年四月八日申請人は、組合員の織田行雄をそそのかして、「組合」の会議に出席させるため、就業時間中に職場を放棄させた。

(ホ) 同年八月一四日の午前中申請人が井上次郎とともに総支配人室において、パルレカに申請の理由中三の(二)で申請人の主張しているような許可を求める申入れをしたのに対し、パルレカは、検討のうえ一〇分以内に回答するからといつて一時退室を促した。パルレカとしては、右申入れを許可するについて業務上差し支えがないかどうかを確める必要もあり、これに原田実の担当する手形、小切手の交換業務については午後一二時一五分から午後一時までの間最も忙がしい時間であるところから、その仕事を他の従業員に代つて処理させる手はずも講じなければならないとの考慮もあつて、とりあえず原田実を呼んで事情を尋ねようとしたのである。このようなパルレカの措置は副支配人としての職責上当然のことであり、「組合」の執行委員長であるからといつて申請人がこれに干渉することはとうてい許されないところであるにもかかわらず、申請人は、不当にもパルレカに対し、「組合」がその活動上必要があるとして要求する組合員の昼食時間に関する変更等については、直接「組合」に対しその諾否の回答をすべきであつて、原田実と話合いをすべき理由はないといつても、パルレカに原田実を会わせることを阻止し、パルレカより重ねて副支配人が従業員の誰をいつ呼び寄せて話をしようとその権限上自由であり、「組合」に対してはすでに告知したとおり一〇分以内に回答するからといつて、総支配人室より退出を要求されたけれども、容易にこれに応ぜず、約一〇分ぐらい押問答の末ようやく退室したのである。

元来被申請人の東京支店においては、従業員の昼食時間は四五分間ときめられているが、銀行業務の公共性と特殊性からいつて従業員が一せいに昼食時間をとることはとうてい不可能なことであり、従業員各人の担当する業務の関係を考慮して従業員各自について個別的に割振りがきめられており、その変更を希望する者がある場合には、直接当該従業員自身の申出にもとずいて、被申請人の業務に支障のないかぎり許可を与えることになつているのである。してみるとこのことをわきまえないで、いたずらに組合活動に関する必要性のみを掲言してあくまで前記要求を押し通そうとした申請人の前記行動は、被申請人の業務を不当に妨害し、明らかに被申請人の経営権を侵害したものであるといわなければならない。申請人の右行為について被申請人の在日総支配人カブラールがその後申請人に対し申請人主張のような書簡を手渡したのも故なしとしないのである。

(二)  ところが申請人は、右書簡を受け取るや、それが被申請人の申請人に対する不当な懲戒処分の予告であり、組合員全員の基本的な労働条件に重大な影響を及ぼすおそれのある、「組合」に対する弾圧の表われであるとの見解に立つて、これを撤回させるべく、組合員をあおりそそのかして、昭和三三年九月八日から被申請人に対する違法な争議に突入させた。

しかしながら右書簡は、その内容を一読すれば明らかであるように、申請人に対し単にその将来をいましめる警告書にすぎないのであつて、申請人がこれにより被申請人から不当に懲戒を予告されたというような不利益処分を受けたとか、組合員全員の基本的な労働条件がおびやかされたとかいうべき筋合いのものではないのにかかわらず、申請人は、これを曲解し、なんら自らの態度を反省することもなく、「組合」の執行委員長たる地位を利用して右のような行動に出たのである。このような上司の命令に反抗し、職場の規律を乱し、雇傭契約上の信義則に反する申請人の不当な行動により、被申請人の業務の正常な運営が阻害され、その信用も著しく失墜せしめられたのである。

(三)  前述のとおり昭和三三年九月八日から始まつた「組合」の争議は同年一〇月二二日まで続いたのであるが、この争議は、すでに説明したとおり総支配人カブラールから申請人にあてた警告の書簡の撤回を要求するためのものであつて、労働条件の改善その他組合員の経済的地位の向上に関する要求を目的とするものではなかつたばかりでなく、「組合」は、あらかじめ被申請人の大阪支店に勤務する組合員を被申請人に無断で大挙上京させて大阪支店の業務を半身不随の状態におちいらせたほか、争議中ピケラインを張りめぐらして東京支店への出入を完全に封鎖してしまつた。そのため被申請人の正常な業務の運営がさまたげられ、取引客に重大な迷惑がかかつたのはもとよりのこと、ひいては日印間の国際取引にも悪影響が及び、被申請人の国際的信用も失われる結果となつた。そのうえ、争議中の組合員によつて被申請人が他から賃借中の東京支店の建物の施設をこわされ、あるいは、右建物の屋上に赤旗が掲げられたりしたため、被申請人はついに右建物の賃貸人からその明渡を請求されるに至つた。このように前記争議はその目的からみても、またその方法からいつても明らかに違法なものであるところ、申請人は、「組合」の執行委員長としてこれを指揮し、実行したのであつて、その点についても自ら全責任を負うべきものである。

被申請人は、右(一)、(二)および(三)において述べたような事実からして、申請人を被申請人の従業員としてふさわしくないものと判断し、申請人に対しやむなく懲戒解雇の意思表示をするに至つたのである。なお、被申請人の定めた就業規則には、従業員に対する懲戒解雇に関する規定はないけれども、使用者の労働者に対する懲戒の権限は就業規則に明文の規定が設けられているかどうかにかかわりなく認められるべきものである。

三、申請人は、申請の理由中三の(五)において被申請人の組合員に対する非組合員との差別待遇を種々の具体的事例を列挙して主張しているが、左に反論するとおりいずれも理由のないものである。

(イ)の(1)について。

中央労働委員会のあつせんは、昭和三二年四月分以降の賃金について平均一八パーセントの増額を行なうが、そのうち、一〇パーセントは各人に対する一率増給に、残りの八パーセントは定期昇給の時における賃金の調整にあて、その際扶養家族のある者につき特別の考慮を払うというにあつたのであつて、被申請人は、同年七月の定期昇給にあたつて扶養家族のある従業員に対しては扶養家族一人につき金二百五十円の割合による家族手当に相当する金額を、扶養家族のない従業員にも一律に金八百円を昇給させることその他の方法により賃金の調整を行なつたのであるが、もともと労働者に対する昇給や賃金調整は、各人の担当する職務の内容、その能力および勤務成績などを考えあわせてきめられるべきものであるから、多少の差等の生ずるのはやむを得ないところである。申請人および西尾正一の両名と岸重道との昇給額につき金四百円の差が設けられたのは、運転手である申請人および西尾正一より岸重道が枢要な地位にあり、重要な事務を担当していたからにほかならないのであり、しかも岸重道も当時組合員であつたのである。その他被申請人が右定期昇給において組合員と非組合員とを差別待遇したような事実は絶対にない。

同上(2)について。

申請人の主張する家族手当の支給に関する団体交渉において、被申請人は、女子従業員の将来を考慮して、女子従業員が未亡人となつた場合に、一八才以下の子供一人につき金二百五十円を支給しようという提案をしたことがあつたが、当時岩瀬雅楽の子供はすでに二五才に達していてその適用外にあつたのである。申請人の主張する徳島昭雄の家族手当に関する被申請人の提案なるものは、そもそもいかなることを意味するものであるか、被申請人には了解がつかないのである。要するに申請人のこの点に関する主張は全くのいいがかりとしか考えられない。

同上(3)について。

織田行雄の昼食時間変更について被申請人が同人を問責したのは、同人がメツセンジヤーであつて、常時待機していなければならない立場にあるにもかかわらず、勝手に昼食時間を変更したことが発覚したためであつて、もとより当然の措置である。被申請人が申請人の主張するように徳島昭雄の無断外出を知りつつこれを黙認したことはない。

同上(4)について。

織田行雄は、メツセンジヤーとして、毎日定時の退出時間より三〇分早く午後四時四五分頃、東京中央郵便局に郵便物を投函する用務のため退出し、そのまま帰宅することになつているので、残業をする必要がないのである。もし仮に同人が副支配人の不在中に残業をし、その届出が不可能であつたという事例があつたとしても、そのような残業自体独断もはなはだしいものである。徳島昭雄の残業に関して被申請人が他の従業員と異る寛大な取扱をしたようなことはない。

(ロ)について。

昭和三三年五月二六日から三日半に亘る徳島昭雄の欠勤は、急病の家族を看病するためのやむを得ないものであつたし、当時徳島昭雄は使いの者に被申請人に対するその旨の連絡を依頼したにもかかわらず使いの者がその伝言をし忘れたために無届の結果になつてしまつたのである。徳島昭雄は、事後副支配人にその事情を説明して陳謝したので、不問に付されたのである。しかるに申請人が同年二月二五日に無断で外出したときの状況は先に申請人に対する懲戒解雇の理由に関する主張の(ハ)において述べたとおりであつて、両者の行為の性質、情状は著しく異つている。

(ハ)について。

岩本正子の手許に置かれていた電話機が他に移されたのは、かねがね同人から側に電話機があると仕事のじやまになるといつて不平をもらされていたところ、被申請人の東京支店に増員されて赴任して来た印度人行員の執務上右電話機の使用が必要になつたからである。被申請人が在来右電話を「組合」にその用務のため使用することを一般的に許容していたような事実はないのであるが、申請人は、就業時間中組合活動を禁じられているにもかかわらず、毎日のように長時間右電話を「組合」の用務のための通話に使用し、ひどい時には一日の使用回数が一九回、しかも一回の通話時間が三〇分以上に亘ることさえあつた。そのため被申請人の東京支店の取引先から電話が容易に通じないという苦情が度々伝えられ、業務に著しい支障を来たしていたのである。なお、右電話機移転後においても、外部からこの電話機にかかつて来た「組合」への通話が「組合」に取り次がれずに切られてしまつたようなことは絶無である。

被申請人代理人は、以上のとおり述べた。(疎明省略)

理由

一、被申請人が印度国ボンベイ市に本店を置き、日本における営業所として東京都および大阪市にそれぞれ支店を設けて銀行業を営んでいるものであること、申請人が昭和二七年一一月一九日被申請人にやとわれ、その東京支店の自動車運転手として働いていたことおよび昭和三三年九月二五日申請人が被申請人から申請人の主張するような記載のある書面を呈示されて同月二〇日付で申請人を懲戒解雇する旨の意思表示を受けたことは、いずれも当事者間に争いがない。

二、申請人は、右懲戒解雇の意思表示をもつて不当労働行為または解雇権の濫用にあたるものとして無効であると主張するので、以下この点について判断する。

(一)  申請人の組合活動

申請人が昭和三一年三月五日「組合」の結成以来これに加入し、結成の当初からひきつづき「組合」の執行委員長に選ばれ、昭和三三年八月当時には「組合」の上部団体である「外銀連」の副執行委員長であつたことは、当事者間に争いがなく、真正にできたことに争いのない甲第一号証の一と申請人本人尋問の結果(昭和三五年一月一一日の口頭弁論期日におけるもの)によれば、申請人は「外銀連」の副執行委員長として争議対策部長をも兼務していたことが認められる。

前掲甲第一号証の一、真正にできたことに争いがない甲第一号証の二、同第二号証、同第三号証の一、同第四号証、乙第一八号証、証人エヌ・エス・パルレカの証言(昭和三四年九月三日の口頭弁論期日におけるもの)により真正にできたものと認める乙第一五証、被申請人代表者テイ・エル・カブラールの尋問の結果(昭和三四年一一月一九日の口頭弁論期日におけるもの)により真正にできたものと認める乙第一六号証、証人井上次郎、同吉富雅雄、同井上義雄の各証言、同徳島昭雄の証言(昭和三四年五月二一日および同年六月一三日の口頭弁論期日におけるもの)、同エヌ・エス・パルレカの証言(昭和三四年九月三日の口頭弁論期日におけるもの)申請人本人尋問の結果(昭和三五年二月二四日の口頭弁論期日におけるもの)および被申請人代表者テイ・エル・カブラールの尋問の結果(昭和三四年一一月一九日の口頭弁論期日におけるもの)によると、次の事実が認められる。

かねてその待遇に不満を抱いていた被申請人の東京および大阪各支店勤務の日本人従業員は、団結の力によりその労働条件を改善するため「組合」を結成した。「組合」は、その結成以来、執行委員長に選出された申請人が中心となつて、組合員の待遇改善のため盛んに被申請人と団体交渉を続け、昭和三一年九月および昭和三三年四月には争議をも決行して、少しずつ被申請人に対する要求の実現に成功して来たのであるが、前述のとおり申請人がひきつづき「組合」の執行委員長に選ばれたうえ「外銀連」の役員に就任したのも、その間における申請人の活溌な組合活動に信望が集つたからにほかならないのである。なお、申請人が「組合」の決定にもとずき、昭和三三年八月一四日「外銀連」さん下の労働組合である印度支那銀行従業員組合の闘争支援に組合員の原田実および岩本正子とともに参加することになつたについて、被申請人の在日副支配人パルレカに対し井上次郎とともに「組合」の代表として右参加者三名の当日の昼食時間の変更等を要請した際における申請人の行動が被申請人の経営の正常な機能に対する干渉であるとして、かかる行動が再び繰り返された場合には適当な懲戒手段が取られるべきことを警告する旨の書簡が同月二〇日被申請人の在日総支配人カブラールから申請人に手渡されたことに端を発して、「組合」が右書簡をもつて申請人に対する懲戒処分の予告であり、他の組合員の基本的な労働条件にも重大な影響を及ぼすおそれのあるものであるとの見地に立つて、被申請人に対しその撤回を要求して団体交渉を続けたほか、争議を決行し、さらには中央労働委員会および東京都地方労働委員会にそれぞれあつせんの申請をしたについても、申請人は「組合」の執行委員長として右のような組合運動を推進した(申請人が叙上のようにパルレカに対し昼食時間の変更等を要求したこと、その際における申請人の行動に関してカブラールから申請人に上述のような書簡が手渡されたことおよび右書簡の撤回を要求してその後前叙のとおりの「組合」の運動が展開されたこと(但し、中央労働委員会にあつせんの申請がなされたことを除く。)は、当事者間に争いのないところである。)のであるが、その状況の詳細は後述するところに譲る。

(二)、申請人の組合活動に対する被申請人の態度

申請人は、被申請人の申請人に対する本件懲戒解雇の意思表示が不当労働行為または権利の濫用にあたることを裏付けるものであるとして、被申請人が「組合」の存在をきらい、組合員と非組員とを差別待遇していたことを具体的事例をあげて主張するので、その当否について考えてみる。

(イ)  昇給、家族手当、残業および昼食時間変更に関する差別待遇の有無について

(1) 被申請人が昭和三二年七月の定期昇給に際して、岸重道に金二千二百円、申請人と西尾正一の両名に各金千八百円、平沢ちえ子に金千三百円、徳島昭雄に金千百円の増給を、さらに岩瀬雅楽にも金題は別として増給を行なつたこと、これより先被申請人と「組合」の双方が受諾した中央労働委員会によるあつせんの条項中に、被申請人はその従業員に対し昇給を行なうにつき、本給に関係なく家族数の多い者の賃金改善に配慮されたい旨の定があつたこと、岸重道、申請人および西尾正一の扶養家族数が当時いずれも四名であつたことは、当事者間に争いがなく、真正にできたことに争いのない甲第一号証の三および弁論の全趣旨によつて真正にできたものと認める甲第一八号証の二によると、岩瀬雅楽に対する前記増給額は金千三百円であつたことが認められる。ところで真正にできたことに争いのない乙第一〇号証および前掲乙第一六号証によると、中央労働委員会による前記あつせん中昇給に関する条項は、左のような趣旨のもの、すなわち、被申請人は昭和三二年四月以降組合員の賃金を平均一八パーセント増額するが、そのうち一〇パーセントを各人一率の昇給に、残りの八パーセントを同年度の定期昇給にあわせて賃金の調整にあて、なおその場合に家族数の多い者の賃金の改善につき配慮されたいというにあつたこと、そこで被申請人は前記定期昇給において組合員たる従業員各個につきその担当する職務の性質、勤務成績および能力等を勘案するほか、扶養家族を有する者にはその一人ごとに金二百五十円を昇給額の中に含ませることとし、そのような方針の下に組合員各自の増給額を決定したことが認められるのであるから、扶養家族数がいずれも四人であつた岸重道と申請人および西尾正一との間において、また扶養家族のない点において同一の条件の下にあつた岩瀬雅楽、平沢ちえ子および徳島昭雄と組合員との間において、昇給の金額が異なつていたとしても、特別の事情のないかぎり申請人の主張するように、被申請人が岸重道、岩瀬雅楽、平沢ちえ子および徳島昭雄を組合員よりも不当に有利に取り扱つたものと即断することはできない。甲第一号証の三、同第二号証および同第四号証の各記載ならびに証人井上義雄の証言中、前記定期昇給にあたつて組合員と非組合員との間に差別待遇が行なわれたとの趣旨の部分は、その根拠を示すところがないので、疎明として採用するに足りない。のみならず当時申請人および西尾正一が組合員で、岩瀬雅楽および平沢ちえ子が非組合員であつたことは、当事者間に争いのないところであるけれども、岸重道および徳島昭雄がその頃「組合」に加入していなかつたことについての疎明としては、甲第一号証の三および同第二号証にその旨の記載(ただし、甲第二号証には徳島昭雄に関する記述があるのみである。)が存するけれども、採用しがたい。

してみると被申請人が昭和三二年七月の定期昇給において組合員を非組合員より不利益に処遇したという申請人の主張は失当である。

(2) 昭和三三年八月六日以降「組合」と被申請人との間で家族手当の支給に関して行なわれた団体交渉において、被申請人より提案のなされたことがあつたことは、当事者間に争いのないところであるけれども、その提案が申請人の主張するごとく非組合員である岩瀬雅楽および徳島昭雄をとくに優遇しようとするものであつたことを認めうる疎明はない。

(3) 組合員の織田行雄が被申請人に無断で所定の昼食時間を変更したことについて被申請人から問責されたことのあつたことは、当事者間に争いがない。そして真正にできたことに争いがない甲第五号証の二、前掲乙第一五号証および証人エヌ・エス・パルレカの証言(昭和三四年九月三日の口頭弁論期日におけるもの)によると、織田行雄は被申請人の東京支店においてメツセンジヤーの係をしているものであつて、右に述べた昼食時間の無断変更は昭和三三年六月二三日のことであるが、同人はこれより先同年四月八日にも「組合」が勤務時間中に開いた職場大会に出席したため、被申請人の東京支店から同大阪支店への送金用の小切手の発送を遅延させたことがあり、当時厳重な注意を受けたことがあつたにかかわらず、又々前記のようにみだりに昼食時間を変更する行動に出たところから、副支配人のパルレカより職務の怠慢を責められたものであることが認められる。ところで上掲甲第五号証の二には、徳島昭雄は、「組合」を脱退した以後昼食時間の変更について特段の制限を受けなかつたのみならず、四五分の昼食時間を守つたことがほとんどなく、ひどい時には二時間もこれを超過するようなことがしばしばあつたのに、被申請人から一度も注意されたことがなかつたとの趣旨の記載があるが、後掲疎明に照らして採用しがたい。上記乙第一八号証および証人徳島昭雄の証言(昭和三四年六月一三日の口頭弁論期日におけるもの)によると、徳島昭雄は、組合員であつた当時よりカブラールおよびパルレカから重宝がられ、なにくれとなく用事を頼まれて勤務時間中にも外出することが度々あつたため、事情を知らない他の従業員には、同人の勤務振りが放慢なように誤解されていた節もないではなかつたけれども、甲第五号証の二の前掲記述のような事実はなかつたことが認められる。してみると右記述は、事実に副わないものであるか、または少くともその作成者である織田行雄のなんらかの誤認に出たものと解するほかないものというべきである。なお、甲第一号証の三には、被申請人の従業員が昼食時間を守らなかつた場合における被申請人の取扱方が組合員に対しては非組合員に対するよりもとくにきびしかつた旨の一般的な記載がみられるけれども、採用しがたい。

叙上判示したところからすれば、織田行雄が昭和三三年六月二三日無断で昼食時間を変更したことに関して被申請人から問責されたことは、たとえ申請人の主張するような織田行雄の聞き誤りにもとずくものであつたとしても、もとより当然のことであるというべく、したがつて被申請人が昼食時間の遵守について組合員をことさら非組合員より不利益に取り扱つていたという申請人の主張は是認することができない。

(4) 組合員の織田行雄が無届のまま残業したことについて被申請人から叱責されたことのあつたことは、当事者間に争いがないところ、甲第一号証の三には、組合員が残業をする場合は、事前にその届出をして置かないと一切その手当が支給されないのに反して、非組合員に対しては、とくに残業をするほどの必要もないのに居残つて時間をつぶした場合にも、被申請人から異議なく残業手当が支払われていた旨の記載が、甲第五号証の二には、織田行雄が残業をした場合に、組合員として甲第一号証の三の右記載のような処遇を受けたのに反して、非組合員である徳島昭雄については、届出の必要もなく自由に残業することが許され、しかも帳簿に記入された実際の残業時間以上の手当が支払われたことさえあつた旨の記載が存するけれども、いずれも採用するに足らず、前掲甲第五号証の二、乙第一八号証および証人徳島昭雄の証言(昭和三四年六月一三日の口頭弁論期日におけるもの)によると、織田行雄は、被申請人の東京支店のメツセンジヤーとして、毎日定時の退出時間より約三〇分早く午後四時四五分頃、東京中央郵便局において郵便物を投函するため退出し、そのまま帰宅することになつているので、もともと残業の必要が少いのみならず、右郵便局の窓口の混雑その他特別の事情により就業時間内にその用務が終らないで残業を余儀なくされることがあるとしても、それほど長時間に亘るものとは考えられないのにかかわらず、翌日になつて前日午後七時ないしは八時頃まで残業した旨の届出をしたりすることがあつたため、カブラールまたはパルレカからその理由を問いただされたことのあつたことが認められる。さらに前掲乙第一八号証によると、織田行雄については、前述のような勤務態勢であつたところから、残業をした場合における届出はその翌日にすればよいことになつていたことが認められるので、申請人の主張するように副支配人の不在のために、織田行雄が事前に残業の届出をすることができなかつたということは考え得られないところである。

要するに被申請人が残業について組合員と非組合員を差別待遇したという申請人の主張はあたらないものといわざるを得ない。

(ロ)  申請人と非組合員徳島昭雄との差別待遇の有無について

昭和三三年三月二五日申請人が就業中に三時間外出したことについて、被申請人から無許可で外出したものであるとして陳謝を要求され、今後かかることを繰返した場合にはどのような措置をとられても異議がない旨の書面の提出を命ぜられるとともに、外出時間に相当する賃金を差し引かれたことは、当事者間に争いがない。ところで徳島昭雄が昭和三三年五月二六日から三日半に亘つて無届で欠勤したことも当事者間に争いがなく、この無断欠勤について被申請人が徳島昭雄に対してとくにその責任を追及することのなかつたことは、被申請人の明らかに争わないところであるが、申請人は、パルレカが右無断欠勤の後出勤した徳島昭雄に対し「心配しないでもよい。」とさえささやいたことがあるとして、叙上のとおり無許可で外出した申請人に対して被申請人のとつた措置と対比すると、組合員と非組合員に対する被申請人の差別待遇の表われであると主張し、甲第一号証の三、同第二、三号証には右主張に副う記載があるけれども、いずれも採用し得ず、証人徳島昭雄、同エヌ・エス・パルレカの各証言(前者については昭和三四年六月一三日の口頭弁論、後者については同年一〇月一三日の口頭弁論期日におけるもの)によると、徳島昭雄の前記欠勤が無届となつたのは、当初同人の届け出た年次休暇の日がたまたまタイピスト岩本正子の希望する休暇日と重なつていることがわかつたので、両名相談のうえ、まず徳島昭雄が昭和三三年五月二六日から休暇をとり、岩本正子の休暇はそれが終つた後にすることに予定を変更しながら、うつかりして被申請人にその変更届をすることを忘れてしまつたためであつたところから、徳島昭雄は、自らの非を認めてパルレカに謝つたので、パルレカも事情を諒解して徳島昭雄に対して別に懲罰等の排置をとらなかつたものであることが認められる。

しかるに申請人が昭和三三年二月二五日に無許可で外出したときの情況は、後に判示するとおりであつて、徳島昭雄の前記無断欠勤とは、その情状において著しく異つていることが明らかであるので、被申請人が両者に対する処置を差別したからといつて、組合員をことさら不利益に取り扱つた事例に該当するとはいえないのである。

(ハ)  「組合」および組合員に対する電話使用の妨害の有無について

被申請人の東京支店に架設されている三本の電話のうち二本についてはその電話機が総支配人カブラールおよび副支配人パルレカの机の上に、他の一本についてはその電話機がタイピスト岩本正子の手許に置かれていたところ、後者の電話機が印度人行員の机の上に移されたことは、当事者間に争いがない。そして真正にできたことに争いがない甲第六号証から同第八号証まで、証人原田実、同山田一美の各証言(ただし、これらの疎明中後掲採用しない部分を除く。)によると、従来「組合」の用務のためにする通話には岩本正子の手許にあつた電話機が使用されていたのであるが、昭和三三年四月頃この電話機が支配人補佐ナバルカの来任の機会に同人のところへ移されてからは「組合」によるその利用が窮屈となり、ことに「外銀連」さん下の印度支那銀行従業員組合が同年七月九日以降無期限ストライキに突入した以後「外銀連」の副執行委員長兼争議対策部長であつた申請人に頻繁にかかつて来た電話や同年八月二六日被申請人から申請人に手渡された書簡の撤回を要求して「組合」が被申請人と団体交渉を続けていた際、被申請人の大阪支店の組合員を代表してこれに参加するため上京していた山田一美ほか一名が連絡のため被申請人の東京支店の組合員織田行雄に同年九月四、五日頃かけた電話がいずれも本人に取り次がれずに切られてしまつたことがあつたことを認めることができる。しかしながら上掲疎明中、被申請人が組合活動を制限しようとしてことさら「組合」および組合員に対し電話の使用を妨害したとの趣旨に帰する部分は採用しがたく、かえつて前出乙第一五、一六号証および被申請人代表者テイ・エル・カブラールの尋問の結果(昭和三四年一一月二八日の口頭弁論期日におけるもの)によると、被申請人は、かねて申請人の就業時間中における組合用務のためにする電話の使用が相当その回数も多く、かつ、長時間に亘ることもあつて、取引先からの電話の通じないことが度々あるとの苦情を述べられていたところから、申請人にしばしば注意を促したにもかかわらず、容易に聴き入れられないで困つていたことが認められるところからするときは、前示のように電話機の移転に伴い、「組合」の用務のためにするその利用上に支障を生ずることがあつたとしても、被申請人の措置を申請人の主張するごとく「組合」および組合員に対する不利益な取扱いとして咎め立てるにはあたらないものというべきである。

叙上これを要するに、被申請人が「組合」の存在をきらつて組合員と非組合員とを差別待遇していたことの具体的実例として、申請人の挙示するような事実は、一つとして疎明されるところがないのみならず、前掲乙第一八号証、証人吉富雅雄の証言、同徳島昭雄の証言(昭和三四年六月一三日の口頭弁論期日におけるもの)および被申請人代表者テイ・エル・カブラールの尋問の結果(同年一一月一九日と同月二八日の各口頭弁論期日におけるもの)によると、昭和三二年五月二一日以来被申請人の在日総支配人兼東京支店長に就任したカブラールは、その前任者のチヤタベデイが在任当時被申請人の日本人従業員に対し相当な厳格な態度で臨んだのに反して、温情をもつてこれら従業員に接し、労使の融和を図ることに努め、原則として毎週一回水曜日に「組合」と懇談会を開いて組合員の労働条件その他について話し合う機会をつくり、日本人従業員の待遇にも逐次改善が加えられるに至つたので、職場の雰囲気も明朗となつたことが認められる。

申請人の主張する具体的事実以外に、被申請人の「組合」に対する反感および組合員と非組合員との差別的取扱いのあつたことを認めるに足りる疎明はない。

(三)  申請人に対する懲戒解雇の理由として被申請人の主張する事実の存否。

(イ)  前掲乙第一五号証および証人エヌ・エス・パルレカの証言(昭和三四年九月三日と同年一一月一九日の各口頭弁論期日におけるもの)によると、申請人が昭和三二年三月二七日副支配人のパルレカに渡すべき郵便物を、同人の机の三、四呎手前からその上に放り投げて散乱させたので、パルレカがその不作法を咎めて理由を問いたゞそうとしたところ、申請人は大声で叫びながら立ち去つてしまつたということのあつたことが認められる。この認定に反する申請人本人尋問の結果(昭和三五年一月一一日の口頭弁論期日におけるもの)は採用できない。

(ロ)  前掲乙第一五、一六号証および証人エヌ・エス・パルレカの証言(昭和三四年九月三日と同年一〇月一三日の各口頭弁論期日におけるもの)によると、昭和三二年四月中に「組合」が行なつた争議の際に、申請人は、被申請人の東京支店を訪れた印度人バルバルカを争議破りだと考えて説得しようとしたが話合いを拒絶されるや、同人を無理に引つ張り寄せ、その勢いで同人の上衣をほころばせ、バルバルカより丸ノ内警察署へ告訴されたが、その後申請人の要請によりカブラールにおいてパルレカを介してバルバルカに頼み込んでようやく右告訴を取り下げてもらつたことのあつたことが認められる。申請人本人尋問の結果(昭和三五年一月一一日の口頭弁論期日におけるもの)中、バルバルカは当時争議破りとして被申請人にやとわれていたもので、申請人が同人に暴行を加えた事実はないとの趣旨の部分は採用するに足りない。

(ハ)  申請人が昭和三三年三月二五日就業中に三時間外出したことについて、被申請人から許可を得ない外出であるとして陳謝を要求され、今後かかることを繰返した場合にはどのような措置をとられても異議がない旨の書面の提出を命ぜられるとともに、外出時間に相当する賃金を差し引かれたことは、すでに判示したとおり当事者間に争いがないところ、原本の存在とその真正にできたことに争いのない甲第一六号証、前掲乙第一五、一六号証、証人エヌ・エス・パルレカの証言(昭和三四年九月三日と同年一一月一九日の各口頭弁論期日におけるもの)および被申請人代表者テイ・エル・カブラールの尋問の結果(同年一一月二八日の口頭弁論期日におけるもの)によると、申請人が前記のように無断外出したときの状況は次のとおりであつたことが認められる。

昭和三三年二月二五日、午前一〇時三〇分頃申請人は、「組合」の用務のため申請人のほか組合員の井上義雄、井上次郎および織田行雄の四名が正午から午後一時まで外出するについて許可を求める旨の書面を提出して副支配人パルレカにその申入れをした。折柄来客と用談中であつたパルレカは、右のような要件のためにする勤務時間中の外出には許可を与えるわけにはいかないと告げ、なお、自動車運転手の申請人に対しては、その日の朝九時三〇分頃総支配人カブラールを午前一一時三〇分までにその自宅へ迎えに行くよう命じてあつたので、その仕事を怠らないよう改めて注意したところ、申請人は、前記書面を持つて一旦その場から立ち去つたのであるが、その後午前一一時頃再びパルレカの部屋に入つて来て、今度は、申請人については午前一一時から午後二時まで、他の前記組合員三名については正午から午後一時まで外出の許可を与えられたい旨の別の書面を提出した。これに対しパルレカは、来客との用談がなお続いていたので、それがすむまで待つよう答えたにもかかわらず、申請人は、右書面を差し置いたまま退室し、前記組合員三名とともに外出し、午後二時まで帰つて来なかつたし、もとよりカブラールを迎えにも行かなかつた。そのためカブラールは、タクシーで出勤するのやむなきに至つた。なお、当日無許可で外出した申請人以外の組合員三名については、たまたまその外出時間が同人らの昼食のための休憩時間内に止まつていたため、被申請人は申請人に対してのみ前述のような措置をとるに留め、右三名に対しては特段の処置に出なかつた。

甲第一号証および同第三号証の各一の記載、証人吉富雅雄の証言ならびに申請人本人尋問の結果(昭和三五年一月一一日の口頭弁論期日におけるもの)中この認定に反するものは採用しない。

(ニ)  被申請人の東京支店においてメツセンジヤーの係をしていた組合員の織田行雄が昭和三三年四月八日その勤務時間中に開かれた「組合」の職場大会に出席して職場を放棄したことにより、被申請人の東京支店から同大阪支店への送金用小切手の発送を遅延させたことのあつたことは、先に判示した(この項の(二)(イ)(3)参照)ところであるが、前掲乙第一五号証および証人エヌ・エス・パルレカの証言(昭和三四年九月三日の口頭弁論期日におけるもの)によると、織田行雄の右職場放棄は「組合」の執行委員長であつた申請人の指示にもとずくものであつたことが認められる。

(ホ)  申請人が「組合」の決定にもとずき、昭和三三年八月一四日「外銀連」さん下の労働組合である印度支那銀行従業員組合の闘争支援に組合員の原田実および岩本正子とともに参加することになつたについて、被申請人の在日副支配人パルレカに対し「組合」を代表して右参加者三名の当日の昼食時間の変更等を要請した際における行動が被申請人の経営の正常な機能に対する干渉に亘るものであるとして、再びそのようなことが繰り返されるにおいては適当な懲戒の手段が取られるべきことを警告する旨の書簡を同月二〇日被申請人の在日総支配人カブラールから手渡されるに至つたこと、「組合」が右書簡をもつて申請人に対する懲戒処分の予告であり、組合員の基本的な労働条件にも重大な影響を及ぼすおそれのあるものであるとの見地に立つて、被申請人に対しその撤回を要求して団体交渉を続けたほか、争議をも決行し、さらには中央労働委員会および東京地方労働委員会にそれぞれあつせんの申請をしたことならびに申請人が「組合」の執行委員長として右のような組合運動の推進にあたつたという概略の事実については、すでにこの項の(一)においてその認定を示すところがあつたのであるが、前掲乙第一五、一六号証、甲第一号証の一、同第二号証、同第四号証、真正にできたことに争いのない甲第七号証、乙第九号証、同第一九号証から同第二一号証まで、証人井上次郎、同吉富雅雄、同井上義雄、同原田実、同山田一美の各証言、証人エヌ・エス・パルレカの証言(昭和三四年九月三日と同年一〇月一三日の各口頭弁論期日におけるもの)、申請人本人尋問の結果(昭和三五年一月一一日と同年二月二四日の各口頭弁論期日におけるもの)および被申請人代表者テイ・エル・カブラールの尋問の結果(昭和三四年一一月一九日と昭和三五年二月二四日の各口頭弁論期日におけるもの)(これら疎明中後掲採用しない部分を除く。)を綜合すると、次の事実が認められる。

昭和三三年八月一四日「組合」は、「外銀連」からの要請に応じてそのさん下の印度支那銀行従業員組合の争議を支援するため、執行委員長である申請人と組合員の原田実および岩本正子の三名を午後一二時一五分から午後一時までの間右争議現場に派遣することに決定した。ところで「組合」は、右三名の外出について同人らの昼食時の休憩時間を利用しようとしたのであるが、当時原田実については午後一二時四五分から午後一時三〇分まで、岩本正子については正午から午後一二時四五分までがそれぞれの昼食時間に指定され、申請人については昼食時間が特定されず、そのつど願出により許可をうけた時間に昼食をとることになつていたので、右三名が当日の昼食時間を前記行動に参加するための外出にあてるについては、被申請人の許可を得る必要があつたところから、当日午前九時四五分頃「組合」を代表して、執行委員長の申請人と書記長の井上次郎が当時出張中であつた被申請人の在日総支配人兼東京支店長カブラールの職務を代行していた副支配人のパルレカに対し総支配人室において右許可の申入れを行なつた(昭和三三年八月一四日当時における原田実および申請人の昼食時間が叙上のように定められていたことは、当事者間に争いがない。なお、岩本正子の場合は当時昼食時間が午後一二時一五分から午後一時までと定められていたので、その変更に関して被申請人の許可を受ける必要はなかつたとの申請人の主張については、これに副う甲第二号証中の記載は後出証人井上次郎の証言と対比して採用しがたく、他に疏明はない。さらに証人井上次郎の証言中には、当時岩本正子の昼食時間は一応正午から午後一二時四五分までと指定されていたけれども、茶をわかしたり、ついだりする仕事があつて一五分ぐらい超過するのが始終で、右の昼食時間の指定は必ずしも確定的なものではなかつたとの趣旨のものがあるが、たとえそのとおりであつたとしても、上掲認定のさまたげとなるものでないことは明らかである。現に岩本正子の場合を含めて当日組合員三名の昼食時間の変更等について被申請人に許可が求められたことは、本文において認定したとおりであり、原田実および申請人の昼食時間の変更等に関するかぎり、当日午前中上述のとおり被申請人に許可の申入れのあつたことは、当事者間に争いがない。)パルレカは、申請人および井上次郎から右申入れのなされたとき丁度郵便物に眼を通していたので、それがすみ次第両名を呼ぶからそれまで待つようにと答えて置いて、右用件を片附けて午前一〇時頃右両名を呼び寄せ、前記申入れに対しては一〇分以内に諾否を決する旨返事したうえ、手形、小切手の交換に関する記録その他の処理の業務に従事していて余り長く職場を空けて置くことのできない原田実について仕事の都合を確かめるべく、総支配人室のタイピストに原田実を呼んで来るよう命じた。ところが申請人は、「組合」がその用務のために必要があるとして被申請人に対し要求している前記組合員三名に関する昼食時間の変更等については、直接「組合」にその許否の回答が与えられるべきものであつて、右要求につき「組合」を代表している申請人および井上次郎を差し置いて原田実から事情を聞くのは筋違いであるとして、原田実を呼び寄せようとするパルレカにその理由を問いたゞした。これに対しパルレカは、副支配人が従業員の誰と会つて話をしようがその地位と権限からいつて自由であり、申請人および井上次郎よりの申入れについては一〇分以内に許否を決定する旨すでに回答ずみであるので、退室して待つているようにとの注意を与えたにもかかわらず、申請人の聴きいれるところとならなかつた(パルレカが原田実を呼び寄せようとしたのに対して申請人が上述のような理由でパルレカにその理由を質問したことについては、当事者の主張が合致している。)ので、パルレカは、英語に堪能な、東京支店勤務の日本人顧問岸浪を立ち会わせ、同人の通訳により、申請人に対し事情を説明するとともに、原田実を呼ぶのはその仕事の都合を聞きたいからであると、その理由を告げたところ、ようやく申請人も総支配人室から退去した(申請人がパルレカから原田実を呼ぶ理由を聞いて退室したことについても、当事者の主張は符合している。)。かくしてパルレカは、原田実が前記申入れにかかる時間に外出してもその担当する業務に格別支障のないことを、直接同人より確かめたうえ、原田実、岩本正子および申請人の昼食時間を前記申出どおりに変更または指定することに許可を与えたので、右三名は、その日予定のごとく印度支那銀行従業員組合の闘争支援に赴くことができたのである。

叙上のような事件があつた直後パルレカから大阪の出張先でその報告を受けた総支配人のカブラールは、帰京後パルレカと協議の末、前記事件の際における申請人の言動をそのまま不問に付して置くことはできないとの結論に達し、既述のとおり同月二六日カブラールから申請の理由三の(三)に掲げるような趣旨の書簡を申請人に手渡して、申請人に対し将来の行動を戒めたのである(右書簡交付の事実は、前にも判示するところがあつたとおり当事者間に争いがない。)。これに対し、上述のように、「組合」は、右書簡によつて申請人に対し被申請人から不当に懲戒処分の予告がなされ、被申請人のとつたかかる処置は組合員の基本的労働条件にも重大な影響を及ぼすおそれのあるものであるとの見地に立つて、上述のように申請人の指導の下に右書簡の撤回を被申請人に対し要求して種々の運動を続けたのであるが、その状況は以下のとおりである。「組合」のいい分は、前示見解にもとずいて、被申請人の申請に対する前記懲戒処分の予告は正当な組合活動に対する干渉であり、「組合」を弾圧しようとする意図に出たものであるというにあつたのに対して、被申請人は、そもそも申請人の昭和三三年八月一四日における行動は、「組合」のためになされたものと称せられているけれども、元来被申請人の従業員個人の問題であるべき、申請人を含む組合員三名の昼食時間の変更に関する要求に端を発したものであつて、「組合」の活動とは全く無関係で、「組合」の介入すべき事柄ではなく、申請人が当日の言動について反省する等、被申請人を納得させるに足りる十分な理由を示さないかぎり「組合」の要求には応じがたいと反論し、同月二七日および同年九月三日から同月五日にかけて連日「組合」と被申請人との間で開かれた団体交渉においても紛争解決の糸口すら見出されなかつた。「組合」さらに同月六日にもひきつづき団体交渉の開催を申し入れたが、被申請人の業務上の都合により同月十日が次回の団体交渉の期日に指定されたのである。なお、その際被申請人は、事情が許せばその期日を早めてもよいと付言した。ところが同月八日「組合」は、用務のため外出しようとしたカブラールに対して同日団体交渉を開くかどうかをただし、同人が外出先から帰るまで回答を留保したところ、被申請人には事態収拾の誠意が認められないから、要求を貫徹するためには争議手段に訴えるよりほかに方法がないとして、組合員全員の無記名投票(ただし、組合員吉富雅雄の投票は他の組合員が代理して行なつた。)による全員一致の決議にもとずいて即時争議を開始するに至つた(「組合」と被申請人との間において上述のように団体交渉が行なわれたことおよび「組合」が前示日時以降争議に入つたことは、当事者間に争いがない。)のであるが、この争議には被申請人の大阪支店在勤の組合員からも相前後して上京した七名の者が参加したほか、友誼団体がこれを応援した。その後「組合」の申請にもとずき東京都地方労働委員会および中央労働委員会がそれぞれ争議解決のためのあつせんに乗り出した(東京都地方労働委員会によるあつせんについては、当事者間に争いがない。)けれども、いずれも成功を収めるに至らず、遂に同月二五日被申請人から申請人に対し懲戒解雇の意思表示がなされたのである(この事実も当事者間に争いがない)が、結局同年一〇月二三日になつて被申請人と「組合」との間に、申請人の解雇問題の解決は裁判に委ねるとの留保付で争議を終了せしめる旨の協定が成立したのである。右争議中「組合」は、被申請人の東京支店の店舖を一時完全に占拠し、同年九月一一日以後においてはわずかに総支配人のカブラールと副支配人のパルレカのみに支店長室への出入を許すにすぎなかつたのみならず、右支店の設置された建物の窓や外壁にポスター類を貼りつけたり、時計台を旗で遮蔽したり、右建物の所有者である野村建設工業株式会社の係員の屋内立入を阻止したりする行動に出た。そのため、被申請人に右支店の店舖を賃貸中の同会社は、同年九月二九日付書留内容証明郵便をもつて被申請人に対し、被申請人の従業員が建物所有者の管理権を不当に侵害したとの理由により、賃貸期間の満了すべき同年一二月三一日以後については賃貸借契約の更新を拒絶する旨の通知をなし、昭和三四年一月一日からは賃料を受領しないで右店舖の明渡を請求するので、被申請人は賃料の供託を続け、現に係争中である。

前掲証拠中この認定に反する甲第一号証の一、同第二号証の各記載、証人井上次郎の証言および申請人本人尋問の結果は採用せず、ほかに右認定をさまたげる疎明はない。

(四)  被申請人の申請人に対する懲戒解雇の意思表示と不当労働行為または解雇権濫用の成否

被申請人が申請人に対して懲戒解雇の意思表示をする以前からかねて「組合」の存在をきらい、組合員と非組合員とを差別待遇して来たとの申請人の主張について、これを認め得る疎明のないことは、この項の(二)において判示したとおりである。

ところで当事者間に争いのない、被申請人が申請人に対して懲戒解雇の意思表示をするに際して呈示した書面およびこれより先被申請人の在日総支配人カブラールから申請人に手渡された昭和三三年八月二六日付書簡の各文面に懲し、かつ、前掲乙第一六号証、証人エヌ・エス・パルレカの証言(昭和三四年一〇月一三日の口頭弁論期日におけるものおよび被申請人代表者テイ・エル・カブラールの尋問の結果(同年一一月二八日の口頭弁論期日におけるもの)によると、被申請人が申請人に対して懲戒解雇の意思表示をすることを決意するに至つたのは、申請人の昭和三三年八月一四日における行動およびこれに関して被申請人より手渡された同年八月二六日付書簡の撤回を要求して「組合」を争議にまで突入せしめ、これを指導した行為をとくに重視し、あわせて申請人の従前における勤務態度その他を勘案したことによるものであることが認められる。そこでこの項の(三)において認定した事実に即しつつ、被申請人の申請人に対する懲戒解雇の意思表示が十分納得に値する理由を備えたものであるかどうかについて考えてみよう。

まず被申請人において最も重点を置いた申請人の行動について言及する。昭和三三年八月一四日に申請人が「組合」の執行委員長として、組合員三名の昼食時間の変更等について被申請人に対し許可を求めたのは「組合」の代表者としての行為であつたにしても、その申入れを受けた副支配人のパルレカが諾否の回答をするについて、原田実を呼んで仕事の都合を尋ねようとしたのは、使用者のとるべき措置としてまことに無理からぬところであるのに、申請人においてこれを不当であるとしてその理由を追及し、パルレカより退室して許否の返答を待つようにと命ぜられたにもかかわらずこれに従おうとしなかつたごときは、被申請人が前記書簡においていつているように被申請人の「経営の正常な機能における重大なる干渉」にあたるほどのものではないにしても、越軌の行為であると非難されてもやむを得ないものといわなければならない。もつともその際原田実を呼ぼうとしたパルレカが最初にその理由を説明しなかつたことにもその原因があつたものと推測されないではないけれども、申請人としては、すでにその前にパルレカから前記申入れについては一〇分以内に返事するといわれていたことでもあるし、少しく冷静に考えれば、パルレカが故なく原田実を呼び寄せようとしたものでないくらいのことは当然予想されたはずであるから、ともかくもすなをにパルレカからの回答を待つべきであつたのである。「組合」が前記書簡の交付を執行委員長である申請人に対する不当な懲戒処分の予告であり、組合員の基本的労働条件にも悪影響を及ぼすおそれのあるものと判断して、その撤回要求を貫徹するため争議を開始したことは、いささか事態を深刻過大に評価したきらいがないでもなく、また次の団体交渉が二日後に予定されているのにその結果を待たないで争議に突入したのは、なんとしても性急に失したそしりを免れがたいところである。けれどもさればといつて右争議をもつて、被申請人の主張するように違法なものとまで断定することはできない。しかも右争議は、組合員全員一致の決議にもとずいて行なわれたのであるが、その際申請人が被申請人の主張するごとく組合員をあおりそそのかしたという事実を認めるに足りる疎明は見出されない。右争議には被申請人の大阪支店に勤務する組合員が七名上京して参加したのであるが、被申請人は、右大阪支店の従業員の上京は「組合」の指示にもとずき無断でなされたものであつて、そのため大阪支店の業務が半身不随の状態におちいつたと主張する。しかしながら右七名の者の争議参加は、それ自体も一の争議行為とみるべきであり、しかも前述のとおり右争議をもつてあえて違法とするにあたらない以上、これらの者の争議参加について使用者の許可を得なければならないものでないことは当然であり、同人らの右行動によりたとえ大阪支店の業務が阻害されたことがあつたとしても、そのこと自体に関するかぎり、被申請人において組合およびその執行委員長である申請人の責任を云々する余地はないものといわざるを得ないのである。これに反して前記争議中に「組合」が被申請人の東京支店の店舖を一時完全に占拠し、後には総支配人のカブラールおよび副支配人のパルレカに支店長室への出入を許しはしたもののそれ以外の者の右店舖への立入りを阻止したことはもちろん、右支店の設置された建物にみだりにポスター類を貼りつけたり、旗で時計台をおおい隠したりしたばかりか、被申請人に対して右支店々舖を賃貸中の野村建設工業株式会社の係員の屋内への通行をさまたげるの挙に出たことは、いずれも争議行為の正当な範囲を逸脱したものというべく、これら違法な行為が「組合」の執行委員長である申請人の指導の下に行なわれたことは察知するにかたくないところであり、しかもその結果として被申請人が右店舖の賃貸人より賃貸借契約の更新拒絶を通知されるに至つたにおいては、申請人の負うべき責任がますます重大であることは免れがたいところであつて、被申請人が申請人の昭和三三年八月一四日以来の行動を申請人に対する懲戒解雇の最大の理由に取り上げたことは、まことに当然の措置であるとして是認されるべきであるのみならず、申請人にかねて前出(三)の(イ)ないし(ニ)において認定したような行為があつた以上、被申請人か申請人の在来の勤務態度等をあわせ考えて申請人の懲戒解雇を決意するに至つたのは、万やむを得ないところであつて、もとより「組合」の執行委員長としての申請人の正当な組合活動を理由としたものであるとか、解雇権を濫用したものであるとかいうにあたらないことは明らかである。

なお、申請人は、被申請人がその従業員を懲戒解雇するについての根拠としての就業規則を制定していないことをもつて、被申請人の申請人に対する懲戒解雇を権利の濫用と解すべきことの根拠の一として主張しているけれども、元来使用者は、その一方的意思表示によつて自由に労働者との労働契約を終了せしめ得る権利を有していることからするときは、申請人の右主張には賛成することができないのである。

三、そうだとすると、本件懲戒解雇の意思表示が無効であつて、申請人がその後もひきつづき被申請人の従業員たる地位を有することを前提として、この地位にもとずき申請人が被申請人に対して有する賃金請求権を含む雇用契約上の権利の仮処分による保全を求める本件申請については、被保全権利(ただし、後段において判示する賃金請求権は論外とする。)に関する疎明がないことになるのみならず、疎明に代わる保証を立てさせて本件のような仮処分を認めることも相当でない。ただ被申請人は申請人に対して昭和三三年九月二〇日かぎり申請人を懲戒解雇する旨の意思表示をしたとはいえ、それがなされたのは同月二五日のことであつたことは、当事者間に争いのないところであり、その意思表示の効力が同月二〇日にさかのぼつて発生することは、特別の事由のない以上認められないのであるから、本件申請において申請人が被申請人に対して仮の支払を求める賃金のうち、右意思表示の発効の日からさかのぼつて昭和三三年九月二一日までの間の分については、被保全権利の存在を肯定すべきであるけれども、この程度の賃金について仮処分による支払を命ずる必要性はないものと解すべきである。よつて本件仮処分申請を却下することにし、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 桑原正憲 石田穰一 北川弘治)

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